村上春樹『アフターダーク』の感想

村上春樹は作家の中で一番好きだ。
たぶん、知っている限りではこの『アフターダーク』以外は全部読破していると思う。

ふつうの感想とかはレビューとか見ればいいんですが、あえてそういうのを一切見ないで自分が思ったことをストレートに書きます。誤解があると思いますがご了承ください。


おれはいまヤンマガで連載している『ヒメアノ〜ル』という漫画が好きなのですが、主題がこれと似ている気がする。

「私たち」からみた2つの異なる同時間軸での異空間進行とかも。

この小説は結局は人肌が触れ合うときに感じる人間愛が越知だと思ってる。エリは本当はマリを愛してた(その証拠にエレベーターに閉じこまれたときに本気でマリを抱きしめた)のに、マリはそれを勘違いしてしまっていた。だけど、高橋、中国人の売春少女、カオル、コオロギとの出会いによって、自分の考え方が誤っていたことを悟ることになる。

小説はここで終わっているけど、続きがあるとすれば、マリの流した生暖かい涙はマリが服用していたどんな精神安定剤よりも効くということになると思う。ハッピーエンドで締めくくられてはいないが、マリの抱擁によってエリは長い眠りから目覚めるのだろうと思う。

おれは小説を読むときはそこからひとつでも教訓を学ぼうとしているのですが、今回はカオルが発した「世の中にはね、一人でしかできんこともあるし、二人でしかできんこともあるんよ。それをうまいこと組み合わせていくことが大事なんや」という台詞が印象に残ってる。

はじめに書いた『ヒメアノ〜ル』との類似点は他にも、「正常者」と「異常者」の壁もそう。
一般的には「正常者」と「異常者」の間には絶望的な壁があると考えられているが、そんなの時によってはいとも簡単に飛び越えてしまう可能性があるということ。

もしかしたら、そこには特別な壁はそもそもないのかもしれないとか考えた。
アフターダーク』で白川が中国人少女を暴行し、服を剥ぎ取ってしまうことも、『ヒメアノ〜ル』で森田が無感情に人を殺してしまうことも、特別なことではないのかもしれない。

世の中には少なからずそう「異常」な考えを持つ人が少なからずいることは事実ですし。
そのような「異常者」のやり場のない叫びが伝わってくる。


春樹っぽくはっきりしないまま話は終わってしまいましたが、そのぶん自分の頭のなかでいろんなことを考えさせられた小説でした。